東日本大震災と東京電力福島第一原発事故から、3月11日で10年
ニュースや特番も組まれてましたね
もう10年経ったのか…、というのが率直な感想
つい最近の事のように思っていたんですが、時間の流れ方は本当に早い
しかも、年々加速している気がする。
ロングコースしかないサロン(全コース100分以上)
福岡空港・博多駅から車で15分の
完全貸切りのリラクゼーションサロン黒猫屋です。1日3名限定。
アラビアンナイトの店内でまどろみの時間をお過ごしください。
マッサージではなく、リラクゼーションです
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私は、10年前の2011年3月11日
宗像市にある商業施設内のリラクゼーションサロンで働いていました
確か8時半開店の店だったので7時過ぎ頃には出勤して開店準備をしました
午前中は商業施設自体のお客様も普段通りの流れで、賑やかな声が聞こえてきていたのですが
ある時間からピタリと物音が聞こえなくなった
ご予約頂いていたお客様もキャンセルが相次いで、商業施設自体のお客様の声も聞こえなくなって館内自体が体験したことないくらいシーンとしていました
何だか様子がおかしいけどどうしたんだろう?
(まだまだSNSが発達していない時期だったし、スマホの普及率もまだまだでした)
しかも、その日は会社の昇格試験の日で
午前中は実技と筆記の試験を受けていたんです
東京の本社から試験官として来ていた社員3人が帰る準備をして
本社にメールしていました
しばらくして、試験官の社員に本社からメールの返信が来たんですが
3人がそのメールを見てザワザワし始めました
「大変なことが起こった!東京に帰れないかもしれない!とりあえず空港に向かうからこれで!」
通常は技術のアドバイスとか、修正とか話したりとかがあるんですが
あわただしく帰っていきました
そこで、初めて震災が起こった事を知ることになり
お客様がお見えになる気配もなかったので、店舗のみんなで商業施設の真ん中の広場にあるテレビを見に行きました
お客様が誰もいない商業施設のいろんな店のスタッフがテレビを見に来ていました
そこでテレビに映し出されていたのはあまりにも現実味のない映像
想像以上の光景は現実として受け入れられないものでした。
翌日3月12日から2カ月弱、お客様が激減しました
すぐに設置された商業施設の募金箱は毎日パンパンにお札が募金されていました
そして、同じ会社の東北の店舗はほぼ閉店状態
仲間たちから送られてきた被害を受けた店舗の写真は衝撃的な物ばかりでした
その後、私も震災の影響で転勤になった夫について行くことになって
2011年5月からは東京の店舗に移動しました
東京もしばらくはよく揺れていましたが、徐々に地震も減って
1年半後福岡に帰ってきました。
震災がなければ福岡以外に住むことも無かったでしょうし
もしかしたら再婚することもなかったかもしれません
(転勤を機会に結婚することになったんです)