本人が決めたエンディング

黒猫屋ってこんな人

ハッピーエンディングなのか、バッドエンディングなのかは、本人が決める事
妄想して自分を責める必要なんてないんですよ。

福岡市東区箱崎のお隣、筥松 に2019年5月オープンしました
完全貸切りのリラクゼーションサロン黒猫屋です。1日3名限定、あなただけのオーダー施術。
アラビアンナイトの店内でまどろみの時間を。
マッサージではなく、リラクゼーションです。ボディケア(もみほぐし), リフレクソロジー, ドライヘッドスパ, マタニティコース, セラピストの個別お悩み相談もやっています。
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セラピストになって今年で13年目、もうすぐ延べ施術人数2万人に到達しそうな黒猫屋なので、色んな話をお客様からお聞きしています。
まさに、「小説よりも奇なり」なことや、喜びや憤りや悲しみ等々
100人いたら100通り、世界には物語があふれているな~と、お話を聞かせていただけるのがうれしい私です。

そんな中でも時々
「○○の死に目に会えなかった自分は薄情者だ」(かなり要約しましたが要はこう思われているのね?と感じるんです)と悲しんでいらっしゃる方のお話を聞くことがあります
ご両親だったり、ご兄弟だったり、子供や配偶者、お友達、はたまたペットまで
最後に立ち会えなかったと言うのは大きな後悔になるんでしょうね…。

分かるんです、分かるんですが、果たしてその方は最後の瞬間にみんなにいて欲しい人だったでしょうか?
元々いつも周りに人がいるのが好きで、1人が嫌いで、弱っている所を見られても平気なタイプだったでしょうか?

私の個人的な見解なんですが
オープニングとエンディングは自分で決めてくる」

のではないかな?と思うんです。

例えば、私は頑張っている所とか、苦しんでいる所を見られるのが大変苦手、と言うか、誰かいたら気が抜けないので痛かろうが苦しかろうが平気なふりをしないといけなくなってしまうので、弱ってる時は1人になりたい

なので、私のオープニング(生まれた瞬間)は、母・私・先生の最少人数計3名から始まりました、いまだに母からの、何であのお昼休みで誰もいないタイミングを狙って生まれてきたんだ!とのクレームを受けます
この調子だと恐らくエンディングも誰にも見つからないように終わるような気がしますし、そう望んでいます、人が周りにいたら落ち落ち終了ボタンを押すことが出来なさそう、その後が気になって…。

生きてる時は、色んな生き方が認められるようになってきた現代ですが
何故か最後の瞬間は、家族や友達たちに囲まれて、皆に惜しまれながら終わってほしいという様式美を求められているような気がして、違和感を覚えるんです、人それぞれじゃないですか?
その人の性格にもよりますよね?
必ずしも、寂しいわけでも悲しいわけでもないと思うんですよ

思い出してみてください、最後の瞬間に立ち会えなかったあの人はどんな人でしたか?
もしかしたら、最後の瞬間を静かに迎えさせてくれた事こそがあの人にとっては喜びだったかもしれません。

だから、ご自分を責める事はしないでください
元気だった時、美しかった時の姿だけを覚えていて欲しかったのかもしれませんよ?

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