その後は本人の努力でしかない

日々の事
福岡市東区箱崎に2019年5月オープンしました
ロングコースしかないサロン(全コース100分以上)
福岡空港・博多駅から車で15分の
完全貸切りのリラクゼーションサロン黒猫屋です。1日3名限定。
アラビアンナイトの店内でまどろみの時間をお過ごしください。
マッサージではなく、リラクゼーションです
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「お疲れさまでした」

例えば温泉などに行って、宿の中のマッサージを受けに行ったときに最後にこれを言われると
違和感を感じてな~んかソワソワしてしまいます

セラピストの研修とその後の修業期間働かせてもらったラフィネの教えで

「お客様に疲れさせることはしていない!むしろお客様のお疲れを癒す為に全力で施術しているんだから、最後にお疲れ様は絶対に言ってはいけない!」

と、教えられて育ちました
だからか、「お疲れ様でした」って言われるとすごーく違和感を感じてしまうんですよね

もはや私の意志とか関係なく刷り込まれているこの感覚、ラフィネでしっかり躾けられてしまいました。

社会に出たらより環境って大切だなと思うんです

だからでしょうか、「育ちがいい」とか「親のしつけが良い」とかは小学生くらいの子に言うならまだ分かるけど、大人に向かって言ってるのは違和感を感じるんです

本人が後天的に努力して身に着けている事を見ない(否定する)発言のように感じるんですよね
その人の現在を認めていないように感じる、過去のしかも本人の努力や経験じゃなくて生まれや親を褒めるって、結局「運が良かっただけ」って言ってるように聞こえてしまうんです、絶対弛まぬ努力と経験を積んでいるはずなのに、ひねくれすぎてますかね?

子供の時に躾けられたことより、社会に出て色んな方に教えて頂いたことや、悪気なく失礼な事をしてしまって意図せず誰かを傷つけてしまった後悔なんかの方がその人の今を作っているはずなのに

優しい人はいい家庭で育った(のもあるんでしょうが)だけじゃなくて、色んな痛みや悲しい経験も沢山して優しくなっているんだと私は信じています

だから、「育ちがいい」とか「親のしつけが良い」じゃなくて
「いい経験をたくさん積んでこられたんですね」って他の誰でもない本人の経験を讃えたい。

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